100分de名著 アドラー「人生の意味の心理学」 第3回 対人関係を転換する まとめ

   出演者 司会    武内 陶子

             伊集院 光

              ゲスト   岸見 一郎 (哲学者・カウンセラー)

 

 

   人間の悩みはすべて対人関係の悩み

    すべての行動には相手役がいる。

   相手役の他者を自分の敵ととらえる人の多くは、

   自分は世界の中心にいるという、

   自己中心的ともいえる意識がある。

    

 広場恐怖症

    典型的なケースは、広場恐怖症

    家に引きこもって外に出られない神経症の一種。

    広場恐怖所の人は、みんなからみられることを恐れるように見えるが、

    実はその逆で、みんなから注目されて世界の中心にいたいと思っている。

    そんな人の多くは幼いころに甘やかされて育った経験がある。

    幼いころ、すべての物を与えられて育つと、

    やがては他者から与えられることを当然だと思い、

    他者が自分に何をしてくれるか、関心のない大人に成長してしまう。

    そして、ひとたびそういかない現実に直面すると、

    不機嫌になったり、攻撃的になったりする。

    

 夜尿症

    思うような注目が得られないので、

   親が困ることを一番困るタイミングでする。

   昼間は正常だが、夜中に夜尿症を発症し、親を起こして注目を得ようとする。

   伊集院氏も小学4年の頃、甘え方がわからずおねしょをしていたという。

   わざとおねしょをしていたのではなく、本人は症状によって苦しんだのだが、

   おねしょをすると布団が汚れるから、

   親の布団で寝られるのがうれしかったという。

   おねしょをすることを親が対外的に言うため、

   恥ずかしいからか症状が自然に治まった。

   解消するには、おねしょに関係するコミュニケーションを

   一切やめることが有効。

   おねしょは本人にとってもつらい。

   してもしてなくても親はちゃんと見ていると子に伝えることも重要。

   環境が変わらない限り、仮におねしょが治ってもまた別の症状が出る。

 

承認欲求とは

    番組内の寸劇では、高校卒業後の進路に悩む女子高生が安土羅先生に

    相談するシーンがある。 

    本人は美術大学に進学し、絵を描く勉強をすることを望んでいる。

    だが親は、美術で稼げるのはほんの一部とし、普通の大学に進学後、

    大企業に就職することを求めている。

    自分の希望する道を選ぶべきか、親の意向に沿って期待に応えるか。

    誰もが経験するよくある話だ。

    後者を選ぶ人間にあてはまるのが、承認欲求といわれるものだ。

    この場合では、「親に認められたい」「親をガッカリさせたくない」

    と自分の気持ちを押し殺し、

    言ってみれば他人の人生を生きているようなものだ。

    絵を描いて稼げるかどうかやってみなければわからないし、

    親の意向に沿っていれば幸せが約束されるわけではない。

    もし親の思惑道理に人生を生き、本人が失敗したと感じたならば、

    親へ復讐するかもしれない。

    自分の人生の方向を自分で選び、選択した場合起こるであろう

    メリット・デメリットは自ら引き受けるしかないのだ。

   

    承認欲求が強いと、様々な弊害が出る。

   その筆頭となるのが賞罰教育だ。

    とある小学校での話。

   廊下にゴミが落ちており、拾えばいいのだが、褒められて育った子供は、

   一瞬周りを確認するという現象が見られた。

    褒めてくれる人がいると、ゴミをゴミ箱へ捨て、

    周囲に誰もいないとわかると、

    素通り、何のアクションも起こさなかった。

    賞罰教育によって、その人の行動理由が、

    これからする行為が適切か否かではなく、

    褒められればするにすりかわってしまった。

    承認欲求が強いと、子育てや介護もつらくなる。

   なかなか褒められないためだ。

    抜け出すには「ギブアンドテイク」という発想から、

    「ギブアンドギブ」に転換する必要がある。

    恋愛においても、「○○してあげたのだから、

    これくらいしてくれのことをしてくれて当然。」はNG。

 

 

課題の分離

    あらゆるトラブルの根本原因は、他人の課題に土足で上がり込み、

             自分の価値観を相手に押し付け、従わせることにある。

    では子供が不登校で悩んでいる親を例に説明しよう。

    子供の不登校で、最終的に困るのは子供自身である。

    だからそれは子供自身の課題だ。

    それによって親が学校に呼び出されて教師に怒られるのは親の課題。

    もし親の希望通りに学校に通ってもそれは他人の人生を生きているだけ。

    人の課題に踏み込まず、課題の分離をする。

   一見冷たく見えるが、親子関係は随分改善され、涼しい親子関係が実現される。

    アドラーは課題の分離をすすめているのであって、

    他人との関係を切れと言っているのではない。

    自分の人生を自分で選び、結果を引き受けるには勇気がいる。

 

       人間は自分の運命の主人公である

                     byアドラー